JMIAについて変遷
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 旭川に北海道初の音楽専用ホールの建設を願う、市民による「ぬくもりホールの会」の6年にもおよぶ運動が結実し、旭川市開基百年記念事業の一環として「大雪クリスタルホール」が1993年にオープンしました。
 翌1994年には、ジャズピアノ界の巨星
チック・コリアと世界的ビヴラフォン奏者ゲイリー・バートンによる、不滅の名盤「クリスタルサイレンス」の再演となるデュオコンサートが全国でただ1か所、同ホール音楽堂で行われました。
 チック・コリアはジャパンツアー中でしたが、驚くべきことにゲイリー・バートンは、その1回きりのコンサートのためだけにボストンから来旭してくれたのです。コンサート終了後、数日間市内に滞在したゲイリー・バートンは、旭川の音楽状況(ライブハウス、学校訪問、音楽大行進等)を見学し、「旭川はジャズ音楽を担うにふさわしい街」であることを確信し、「ジャズ月間」を提案したのです。それがすべてのはじまりでした。まもなくその要請に応えるべく実行委員会が組織され、1995年5月に「第1回ジャズマンス・イン・旭川」が開かれました。
 以来、ジャズマンス・イン・旭川(JMIA)は、大雪クリスタルホールを中心として「アコースティックジャズの発信」を続けると同時に、ジャズ音楽の可能性を追求するために「音楽教育」「音楽療法」といった新たな領域に意義と活路を見い出してきました。しかも、いずれの事業も一過性のプログラムにとどまらず、その後市民が率先して継承し、地域に根ざした音楽活動として高く評価されいます。現在JMIAがサポートする代表的なものには「障害児音楽教室スモールワールド」「旭川音楽運動療法連絡会」「JMIAジュニア・ジャズオーケストラ」などがあります。
 さて、ゲイリー・バートンをJMIAの第1期指導者とするならば、第2期のJMIAの輪郭をより明確にしたのは、
IAJE(国際ジャズ教育会)の元総裁リチャード・ダンスカムであると言えます。ジャズ音楽を全世界に普及させ、新人の発掘や教育に取り組んできた先駆者であるリチャード・ダンスカムとの出逢いによって、IAJE国際ジャズ教育セミナーin旭川が実現し、JMIAジュニア・ジャズオーケストラの子供たちは夢のような世界舞台であるIAJEに招かれ、ニューヨーク公演を成功の内に収めることができました。
 さらに、IAJE世界大会では、また一つ奇跡的な出逢いが待ち受けていました。ビッグバンドの歴史を創ってきたと言われる
サミー・ネスティコが、JMIAジュニア・ジャズオーケストラの演奏を誰よりも高く評価し、絶賛してくれたのです。
 活動を開始し丸10年。このたびのJMIA2005「第11回ジャズマンス・イン・旭川」では、ジャズ音楽やビッグバンドを志す人々から世界中で最も敬愛されるサミー・ネスティコを招聘し、Nestico Worldとも言うべき音楽世界を受け継ぐべく、充実したプログラムを用意しました。
 10周年を経て新たなスタートを切ったJMIAは、第3期目にしてジャズ界最大の偉大なる作編曲家“サミー・ネスティコ”のそばまで辿り着きました。

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